きっかけがないなら、作ればいいじゃない
大学時代、私は中国語を勉強していた。
大学に入ったとき、
Hello, my name is Aki Tanaka程のレベルで学内で聞かれる言葉
ー「なぜわざわざ中国語を勉強しようと思ったの」
そう、あの頃はちょうど「これからは中国語じゃん」という認識が出てきた時代で、
どこに行っても何で?何で?とHello, how are you?位の頻度で交わさた会話である。
食いしん坊だった私は「中華料理好きだしー」なんてふざけて答えていたものだ。
だけれども、よーく考えてみ?何か思い出さないうみ三?
私は生粋の日本人である。
だが、物心ついたころから身近に中国文化があり、また、うちのばぁさんも戦時深いつながりがあったようのだ。
大学を決めるとき、正直スペイン語か中国語で迷ってた。
そんな時、ばぁさんが「これからは中国語が必要になるぜ、やっとけベイベー」なんていうものだから
理学系に進むことなど微塵も考えておらず、数字を連想させてします高校の先生お勧めの経営・経済学部などもってのほかだった私は思った。
ー自分には語学しかないぜベイベー
そう思っていた私にはもってこいのオファーであったわけだ。
じゃあどうやって受験するの?
数学入ってくるからセンター試験は避けたい。。。
私の中に眠るアントワネットが言った。
ーセンターが駄目なら推薦があるじゃない!
ということで推薦に向かってまっしぐら。
幸い馬鹿なくせに高校では生徒会やら何やらに手をだしていたこともあり、
うまく推薦でもぐることができたわけである。
何か新しいことを始めるとき、人は何で何で?と納得する答えを求めがち。
それはアントワネットである私に興味を持ってくれているのかもしれないー
「今日は暑いですなー残暑ですなー」くらいの社交辞令かもしれないー
あるいは、自分にない考えにふれてみたいのかもしれないー
いずれにしても、こういった質問は人生の節目節目で必ず聞かれる。
流れに任せて生きてきている私にとってはもう苦行なの。
「なんでお前息してんの?」てくらい残酷な質問なの。
それでも人の好奇心はとめられないし、
私も会話に困ると苦し紛れに「何でお前目ぇ二つあるの?」的質問を投げかけてしまう。
何かを始めるとき、思いのたけを一つ偽造するくらいの茶目っ気をもちたいものである。
うみ三